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福岡簡易裁判所 昭和32年(ろ)1663号 判決

被告人 島本信幸

主文

被告人は無罪。

理由

本件公訴事実は、

被告人は昭和三十二年十月二十日午前十時五十分頃、福岡市上の橋家庭裁判所前附近道路において第二種原動機付自転車を運転するにあたり、福岡県公安委員会が道路標識によつて最高速度として定めた毎時三十二粁を十六粁こえた毎時四十八粁の速度で運転して無謀な操縦をした。

というのである。

よつて検討するに、被告人が前記日時頃、前記場所を第二種原動機付自転車を運転して進行していたことは自ら認めるところであり、これをスピード違反として検挙したという証人野田清繁巡査は、当公廷において

「自分は福岡県警察本部機動警ら隊福岡地区白バイ隊に勤務しているが、前記日時頃福岡市内赤坂門から上の橋に向つて電車通りを白バイに乗つて進行中、赤坂門電停と上の橋電停の中間あたりで、約三十米前方を同方向に走つているラビツトスクーターを発見したがそこは時速三十二粁に制限されている地域であるのにその車は時速四十粁位で進行しているように目測されたので、これを追つて上の橋電停から約二十米のところでその車の後方約十五米まで追いつきそこから約百五十米ないし二百米の間同間隔を保つて追従し、家庭裁判所前あたりで自車速度計のボタンを押して見ると時速四十八粁を示していた。そこでその車を追い越してから停車を命じ停車させこれを運転していた被告人に速度違反をしていると注意し、四十八粁時の表示で止つている白バイの速度計を被告人に見せて確認させた。その速度計は定期に検査を受けているもので、当時も故障はなかつたものである。」

と供述している。(第二回公判調書中同証人の供述記載による。)

しかしながらこれに対し被告人は右制限速度超過の事実を終始否認してをり、右野田巡査から停車させられ取調を受けた際も白バイの速度計の表示は見せられなかつたと供述しているので、この点に関する右野田巡査の供述は果してそのまま措信し得るものかどうかについて検討すると、当時被告人の車の後部に同乗していたという証人座親実は、

「当日魚釣りに行くため被告人の車に同乗していたが、後方から来た白バイの巡査に呼び止められて停車したところ、自分達はその巡査からスピードを出しすぎているといわれ、何粁とか粁数のこともいわれたようであつたが、その際同巡査から白バイの速度計の表示を見せられたことはないと思う。被告人が見せられていたのに自分が気がつかなかつたということもない。被告人は巡査に対しそんなにスピードは出していないというようなことをいつていた。」と供述してをり、(昭和三十三年十一月十二日施行の公判期日外の同証人に対する尋問調書による。)右供述の信憑性につき、格別これを疑わしめるような事情は見当らない。

他方前記野田巡査自身も右停車後の状況について、

「停車後直ちに四十八粁だといつて速度計を見せたところ、被告人は何もいわずに黙つていたように思う。ところが間もなく被告人の前方を軽自動車で走つていたらしい被告人の友人(桑田幹雄)がやつて来て、被告人は三十粁で走つていたと主張したら、被告人もそのように主張し出した。それで、その場で調べるのは具合が悪いので、附近の荒戸町巡査派出所へ同行を求め、同所で取調べをしたが現場から同派出所へ行く途中で前記四十八粁を表示している白バイの速度計は零にもどしたように思う。なお当初被告人が何もいわずに黙つていたことは自分のスピード違反を認めたというわけでもないと思う。派出所へ行つてからも被告人は三十粁位で走つていたと主張し、現認報告書にもそのように付記して署名した。」と供述している。(第二回公判調書中同証人の供述記載、及び前掲公判期日外の同証人に対する尋問調書による。)

ところで被検挙者が右のようにスピード違反の点を否認しているのに、検挙者の警官が該違反事実確認の決め手ともいうべき白バイの速度計の表示を保存することなく、派出所へ同行の途中でこれを零に戻してしまつたということは、何としても了解に苦しむところである。右表示の保存があれば如何に被疑者が速度違反を否認しようとも、事実の前には否認しとおすことはおよそ困難であり、また否認のまゝであるとしても速度計の表示が何粁であつたかを認めさせてこれを現認報告書の上に記録することは容易であつて、かようにすることにより違反を認めない被疑者についてもその違反事実を立証すべき確実な手段が残されているからである。

(実際に当裁判所の略式命令請求事件の審査においても、現認報告書に被疑者の記載事項として、「私は何粁位で走りましたが白バイのメーターは何粁を指していました」という風に、被疑者の自認する速度と警官の認定速度とに差がある事例が往々にして見受けられる。)

また、当時被告人の車に先行して走つていたという証人桑田幹雄は「被告人が検挙された当時、附近にもう一台の白バイがいてやはりスピード違反で他の車を止めて調べていたが、被告人が派出所へ同行を求められたので自分もついて一緒に行つたところ、右のもう一台の白バイの組も同様にそこへ来て調べがあつていた。その際その白バイの巡査が相手の運転手に白バイの速度計を見せていたのを自分ものぞいて見たら、それは五十粁時を指していた。しかし同所で被告人を調べた野田巡査の白バイの方の速度計は零になつていた。」と供述してをり、(第二回公判調書中同証人の供述記載。)

同証人の供述は他の部分においては他の証人の供述と対照し措信し得ないところもあるが、前記供述に関する限りそのような疑点もなく、これを措信して妨げないものと認められるので、前記野田巡査の速度計の表示を保存しなかつた措置に対する疑念はなお強められるのである。

なお被告人自身も最終公判期日において、

「野田巡査から白バイの速度計を見せられた覚えは絶対にない。本当にスピード違反をして即時速度計を見せられたら否認なんかできるものではない。」

と供述している。

以上のような他の関係者の各供述と対照するときは、前記野田巡査の供述中「被告人を停車させてから直ちに白バイの速度計の表示を見せた。」という趣旨の部分は多分に疑問を容れる余地があり、必ずしも全面的にこれを措信し得るものではなく、従つてまた、右速度計が制限超過の四十八粁時を示して止つていたということも同巡査の供述のみが唯一の証拠であるところ、この供述部分も右同様にしてこれを措信するについては躊躇せざるを得ないのである。

してみると、右野田巡査の供述によつてはいまだ右被告人の速度違反(四十八粁時で進行した)の事実を認めるに十分ではないというべきところ、右供述の外にこれを認めるに足る証拠もないので、本件公訴事実はその証明がないことに帰する。

よつて刑事訴訟法第三百三十六条に則り被告人に対し無罪を言渡すこととし、主文のとおり判決する。

(裁判官 和田保)

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